あおいの雑記帳

私の暗闇を照らす光になってくれてありがとう

三十路の既婚者茶推しババアが推しへありがとうを伝える話

なんだか急に改めて気持ちを吐き出したくなり、勢いで作成してしまいました。

最初の話ということでなぜ私が茶推しになったのか、なぜ現場に行くことになったのかという自分語りをしてみたいと思います。最近繋がった人、前から繋がってくれてる人に自分という人間を少しでも知ってもらえたらなぁという淡い願望のようなものです。という割には長くなるよ!!!あと人の生き死にが出てきますので苦手な方はお読みにならない方が良いかとおもいます。


私が推しである野崎弁当さん(MeseMoa. メンバーカラー茶色、現在32歳)を知ったのは、2009年ぐらいまでさかのぼります。きっかけはニコニコ動画です。当時の友人にストロボナイツを踊って投稿したいから手伝って欲しいと言われ初めて見たニコニコ動画。私のニコ動デビューは恐怖。さんのストロボナイツでした。キレキレだけどどこか女性的で踊ってみたすごい!!と思い、恐怖。さんから北海道ダンサーズ(笑)さんの存在を知りました。

そこで私はこの人好き!!!という人を見つけました。チー(様似)さんでした。私は眼鏡スーツ短髪黒髪が大好物なのです。性の癖なのです。野崎さんのことも知ってはいました。ふわふわして妖精みたいに可愛いな~と思っていました。二番手の男でした(失礼)

あの日は突然やってきました。どやレンジャーのボクスランチ様。ふわふわ可愛い野崎弁当が闇を抱えて割り箸を舐め上げた瞬間、私の中でジョジョでしか見たことのない効果音を感じました。ギャップにクソ弱い私が文字通り野崎弁当の魅力に堕ちた瞬間でした。野崎さんを急激に好きになったおかげでチーさんの引退も乗り切れたと思っています。割り箸を舐め上げるシーンを脚本に入れて下さった神様に今でも感謝しております。

私はそれからもずっと画面の中の野崎さんを見ていました。ニコ動の踊り手からむすめん。になった野崎さんも知っていました。岐阜という田舎に住んでいる私にとって野崎さんは画面の中で観られる存在でした。そしてインドア派の私はそれでも充分満足していたのです。かっこよくてかわいくて、ブログから伝わってくる頭がおかしい所(誉め言葉です)も全部好きでした。もちろん今も大好きです。

その日々に転機が訪れたのは3年前でした。私には2つ年下に妹がいました。いましたという過去形でわかるかと思いますが、妹は亡くなっています。とても悲しかったのですが、私よりもやはり母親の方が悲惨でした。泣いて過ごす母親を見ていると自分まで泣いていてはダメだと思うようになり、家族の前で泣くことはなくなりました。妹が亡くなる3ヵ月ほど前に私は結婚したのですが、夫の前でも泣けなくなりました。

それからはどんどん抑圧される日々。特に泣くことと笑うことが出来なくなり、妹が亡くなったのに娯楽に興じることへ罪悪感と嫌悪感を強烈に覚えてスマホのゲームアプリやニコ動からも遠ざかりました。母親は妹との関係の方が密だったので、私と妹の立場が逆だったら良かったのかなと思い、なんなら自分もいなくなってしまいたい。そう思ったこともありました。しかし、生きたいのに病気で亡くなった妹のことを考えるとそれだけはしてはいけないことだと思いました。

とにかく息苦しくて誰かに助けて欲しかった。限界がきた時、私はもう一度だけ野崎さんを見たいと思いました。久しぶりのニコニコ動画へのログイン。確か最初に再生した動画はんふんふんふんふだったと思います。どーもくんを被って動く野崎さんを見ていると、高速ターンでバランスを崩し後ろの物へ派手な物音を立ててぶつかりました。それを見て私はクスッとしました。そしてそんな自分に驚きました。まだ笑ったり出来たんだと思ったからです。それに気付いて涙が出ました。

その夜夢に妹が出てきました。笑顔の妹でした。私は妹が亡くなってから2度ほど妹の夢を見たのですが、どちらも夢の中でも亡くなっていると理解していることに加えて妹は俯いてこちらを見てくれることはありませんでした。笑顔の妹を思い出すと私もまた笑ったり泣いたりしてもいいってことなのかな?と思えたのです。オカルトっぽいというか、私の中に残った希望なのかわかりません。今でも不思議な出来事です……。

医療用の強力な痛み止めで意識が朦朧としているだろう妹が口にした意味がある最期の言葉は「ありがとう、みんなによろしく」でした。ありがとうを繰り返して旅立っていきました。私は自分の人生の終わりに他人への感謝を言葉にした妹を本当に誇りに思っていて、私も私の暗闇をあたたかい光で照らしてくれた野崎さんへありがとうを伝えたいと思いました。

イルミィとしては新人の三十路の茶推しがこうして初めて迎えた現場は、2017年の2月25日のZENBUのリリイベ愛知だったのです。(しかもグルショスタート)
緊張で頭がパーンして表情指定を忘れるも、これだけは忘れるもんかと膝まずいて野崎さんにハートを飛ばした初対面。おそらく茶推しだと判断してくれてスマホではなく私の方を見てくれている野崎さん。そのインパクトが尾を引いて覚えてくださるキッカケになったというのだから、人生何が起こるかわからないなぁって思う。

その後のツーショで2009年ぐらいから好きなこと、泣いてしまうといけないから手紙に書いたありがとうの気持ちを伝えることが出来ました。一度会うと欲が出るのでしょうね。あんなに長く在宅で満足していた私がライブを見たいと名古屋や大阪に出かけ、ついには先日の野崎弁当聖誕祭で新幹線に乗って東京にまで行くまでになりました!

初めて自分でチケットを取って約20年ぶりに新幹線に乗ってきたことを報告したら野崎さんは「頑張ったねぇ」と笑顔でほめてくれて、これからも私はこの人のために自分が出来ることを出来るだけしよう!!と改めて思いました(チョロいのは自覚しています)

と、ここまで長々と書いてきましたが、私がお礼を言いたいのは野崎さんだけではありません。繋がってくれてるたくさんのイルミィさんにもありがとうの気持ちを伝えたいのです。仲良くしてくださる皆さんの年齢は自分の母親に近い人から、自分の子どもと言ってもおかしくないくらい若い人まで幅広いですが、年齢差を気にすることなく楽しくお付き合いしてくれていますね。

妹が亡くなってぽっかり空いた穴は全く同じモノでは埋めることは出来ませんが、皆さんとのやりとりが温かく柔らかいモノでその穴をふさいでくれつつあります。ありがとうございます。本当に私は幸せ者です。願わくばこの先もずっと好きな人たちと一緒に好きな人たちを応援していたいです。感情が100%元に戻っておらず欠けた所のあるこんなポンコツな私ですが、これからも仲良くしていただければ…と思います。

しんみりしてしまったかもしれないので、私が元気な頃の妹に言われて今でも忘れられない言葉をお伝えして終わろうと思います。美容師だった妹が私の髪の毛を切りながらこう言いました。

「姉ちゃんはピザだけどブスじゃないから大丈夫やでね!」

ご清聴ありがとうございました(違)